私は現在アメリカに住んでるのですが、どうもアメリカの個人主義というのに慣れない。
うまく立ち回れずに落ち込んだりする。
ということがあり、常にどうすればいいか考えていました。
そんな時にこちらのサイトを見つけたのです。
夏目漱石は「自分がない」空虚な状態からどう脱したのか?――「自己本位」の発見
このサイトの内容もその通りだと思いましたし、福沢諭吉の「私の個人主義」を読んでみようと思いました。
そこで、本の感想を書きます。
福沢諭吉が学生に向かって講演をした内容になります。
ページ数が少ないので一気に読めます。
これが1914年当時のことだと思えないぐらい、古さを感じません。
ましてや100年経った今でも同じ状態です。
上記サイトでも述べてますが、他人本位から自己本位へ覚醒したことで、
福沢諭吉本人も鬱から脱出しております。
そして正しい主体性とは何か。
このような人達で溢れたら、さぞかし良い世の中になるだろう。
最後に、私はどう変わるべきか。
まずは主体を持つこと。
そして、自分を理解して、人の言葉を鵜呑みにせず、真実を追求し、誠実であること。
これで乗り越えていこうと思います。
うまく立ち回れずに落ち込んだりする。
ということがあり、常にどうすればいいか考えていました。
そんな時にこちらのサイトを見つけたのです。
夏目漱石は「自分がない」空虚な状態からどう脱したのか?――「自己本位」の発見
このサイトの内容もその通りだと思いましたし、福沢諭吉の「私の個人主義」を読んでみようと思いました。
そこで、本の感想を書きます。
福沢諭吉が学生に向かって講演をした内容になります。
ページ数が少ないので一気に読めます。
”今までは全く他人本位で、根のない萍(うきぐさ)のように、そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事にようやく気がついたのです。
私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとして今ういわゆる人真似を指すのです。
〜(中略)〜
ましてその頃は西洋人のいう事だと云えば何でもかんでも盲従して威張ったものです。
だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男が比々皆是なりと云いたいくらいごろごろしていました。
〜(中略)〜
つまり鵜呑みといってもよし、また機械的の知識といってもよし、とうていわが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしいものを我物顔にしゃべって歩くのです。
しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞めるのです。”
私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとして今ういわゆる人真似を指すのです。
〜(中略)〜
ましてその頃は西洋人のいう事だと云えば何でもかんでも盲従して威張ったものです。
だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男が比々皆是なりと云いたいくらいごろごろしていました。
〜(中略)〜
つまり鵜呑みといってもよし、また機械的の知識といってもよし、とうていわが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしいものを我物顔にしゃべって歩くのです。
しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞めるのです。”
これが1914年当時のことだと思えないぐらい、古さを感じません。
ましてや100年経った今でも同じ状態です。
上記サイトでも述べてますが、他人本位から自己本位へ覚醒したことで、
福沢諭吉本人も鬱から脱出しております。
そして正しい主体性とは何か。
”第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。
第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務というものを心得なければならないという事。
第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事”
第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務というものを心得なければならないという事。
第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事”
”いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、
権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。
それをもう一遍云い換えると、この三者を自由に受け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起こって来るというのです。
もし人格のないものがむやみに個性を発展しようとすると、他を妨害する、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。
ずいぶん危険な現像を呈するに至るのです。”
権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。
それをもう一遍云い換えると、この三者を自由に受け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起こって来るというのです。
もし人格のないものがむやみに個性を発展しようとすると、他を妨害する、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。
ずいぶん危険な現像を呈するに至るのです。”
このような人達で溢れたら、さぞかし良い世の中になるだろう。
最後に、私はどう変わるべきか。
まずは主体を持つこと。
そして、自分を理解して、人の言葉を鵜呑みにせず、真実を追求し、誠実であること。
これで乗り越えていこうと思います。
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